(The Man Who Knew Too Much 1956年 アメリカ)
アルフレッド・ヒッチコック監督が、1934年製作の自身の監督作『暗殺者の家』を自らリメイク。
主演は『ロープ』、『裏窓』、『めまい』でもヒッチコックと組んでいるジェームズ・スチュアート。
主人公の妻役のドリス・デイが劇中で歌う『ケ・セラ・セラ』が、アカデミー賞歌曲賞を受賞。
あらすじ
アメリカの医師であるベン・マッケンナは、元舞台女優の妻ジョーと息子を連れモロッコへと旅行に訪れる。
バスで現地の人とトラブルになるが、偶然乗り合わせていたフランス人のルイ・ベルナールに助けられ親しくなる。
ところがベルナールは何者かに殺されてしまい、彼は死際にロンドンである要人の命が狙われている事をベンに告げる。
参考人として警察に同行したベンの元に謎の男から電話があり「ベルナールから聞いたことを話せば、息子の身が危険だ」と脅迫される。
子供の身を案じたベンたちはホテルに戻るが、そこに彼の姿はなかった。
息子の行方を追いロンドンへ飛ぶマッケンナ夫妻。
事件の鍵を握るのは、ベルナールが最後に残した言葉「アンブローズ・チャペル」。
感想
ヒッチコックお得意の、典型的な巻き込まれ方サスペンス。
たまたまバスでベルナールと出会い、たまたま彼が殺されところに居合わせ、たまたま子供を預けた相手が悪くて、たまたま陰謀に巻き込まれてしまう夫婦の話。
これだけ「たまたま」が重なると、もう偶然とは言えない気もするが、ベルナールは自分が殺される予定だった訳でもないだろうし、万が一の時のためにメッセージを残す相手を選ぶにしても、わざわざアメリカ人旅行者を選ぶ理由はない。
ということは、子供を誘拐した彼らも、ベンたちと知り合った時点では彼がベルナールから暗殺計画に付いて聞かされるとは知る由もないので、これも本当に「たまたま」だったことになる。
やはりこれは「不運な」だけの主人公の物語だ。
言葉が通じず、現地の人とトラブルになるマッケンナ一家を、間に入り助けるベルナール。
それをきっかけに会話も弾み、親切で気のいい男の印象だが、ベンの妻ジョーは違った。
ベルナールはベンの事について聞くばかりで自分の事は話さない、謎めいた人間だという。
言われてみれば、そうだったかも。
その夜、一緒に食事に行く約束をした彼らはマッケンナ一家の宿泊するホテルに集まるが、そこでジョーがベルナールに仕事についてなど彼自身のことについて質問してもはぐらかされてしまう。
確かに怪しい。
彼女の発言によって、我々が導かれている。
ベルナールの残した「アンブローズ・チャペル」の謎を解くのも彼女である。
その他にも彼女の活躍は随所に。
タイトルからして、男が活躍する話を連想してしまうので、そこが意外で面白かった。
「アンブローズ・チャペル」を人の名前だと思ったベンが電話帳から住所を探し出し、見当違いの剥製やで「息子を返せ」と乱闘騒ぎになるシーンはコミカルでちょっと間抜け。
その直後にジョーが「アンブローズ・チャペル」の真実に気付くので、彼女の方が頼りになるのでは?と思ってしまう。
母は強し!と言う事か。
彼女の歌う『ケ・セラ・セラ』も、劇中での重要アイテム。
親子で仲良く歌うシーンは、ここへの伏線だったのか。
「なるようになる」とは言ってられない家族が、運命を引き寄せる為に使用する『ケ・セラ・セラ』。
逆説的なところにユーモアを感じます。
音楽といえばもう一つ、オーケストラのシンバルもこの映画を語る上で外せない。
オープニング、演奏中のオーケストラを映すカメラが、徐々にシンバル奏者に寄って行き、「ジャーン」と一発。
続いて「シンバルの一打が、あるアメリカ人一家の人生を如何に揺るがしたか」とのテロップ。
完全に、シンバルが打たれる時に何かが起こるのだと刷り込まれる。
そして終盤に訪れるオーケストラのシーンで、ハラハラは最高潮に!
物語の中で、マッケンナ一家は思うように事が進まず翻弄させられてしまいますが、わたしの心はヒッチコックの狙い通りに操られてしまった気がします。