ウィンストン・グレアムの同名小説を、アルフレッド・ヒッチコック監督が映画化。
出演は、ヒッチコック監督の前作『鳥』でも主演を務めたティッピ・ヘドレンと、初代ジェームス・ボンドとして既に人気を獲得していたショーン・コネリー。
あらすじ
とある会社の金庫から大金が盗まれる。社長によれば、犯人は4ヶ月前に雇ったの黒髪の女性だという。
だが犯人の女性は黒く染めた髪を金髪に戻し、身分証を変え、次の仕事を求人広告を物色する。
彼女の次のターゲットはラトランド社。社長のマークは、以前盗難の被害にあった会社で黒髪に変装した彼女に会っており、面接であった瞬間にそうと気付くが、彼女に興味を持ち敢えて採用するのだった。
感想
ハッピーエンド?
赤い色を極端に怖がり、仕事を転々としながら盗みを繰り返す女性マーニー。
幼い頃のトラウマに起因するらしく、その理由が明かされないまま物語が進行していくので気になって気になって仕方がない。
最後の最後で一気に謎が解明されてスッキリするのだが、果たして真実を明らかにする必要があったのかと考えてしまいました。
ラスト・シーンの後、マークとマーニーの二人はどこに向かうのか?
他の人はどう考えるのか意見を聞きたくなる、自分でも色々な「その後」を想像してしまう、不思議な余韻の残る映画です。
工夫を凝らしたオープニング
本のページが1枚づつめくられ、キャスト・スタッフが表示されていくオープニング・クレジットがお洒落。
最近はデジタル技術を駆使したカッコ良いオープニングが沢山あるが、昔は手作りでもユニークなオープニングが色々あった気がします。
冒頭、マーニーの被害に遭った某社長が警察の事情聴取を受けているのだが、犯人の特徴について尋ねられると身長、体重から服のサイズまで知っており、目の色、髪型、おまけに歯並びまで褒めれば警察ならずとも失笑である。
「推薦状は?」との問いに社長がシドロモドロになると、隣から秘書が「推薦状は無しでした」とチクリ。
このやりとりで、この社長が「信用」ではなく「見た目」でこの女性を採用していたことがわかる。
本当に、男とはバカな生き物である。
男でゴメンなさい・・・。
007なのかな?
そして、ショーン・コネリー登場
スーツ姿の若社長という役どころだが、いかんせんジェームス・ボンドにしかみえない。
本作公開当時は、まだ007シリーズも『ドクター・ノオ』と『ロシアより愛をこめて』の2作品しか公開されてなく、ショーン・コネリーに対してそれほどジェームス・ボンドのイメージはなかったのかも知れないが、ショーン・コネリーと言えばジェームス・ボンド、ジェームス・ボンドと言えばショーン・コネリーという脳になってしまっているわたしにとっては、若きショーン・コネリーはジェームス・ボンドにしか見えないのです。
マーニーに対して「なぜ偽名を使う?」と問い詰めるシーンがあるが、「お前だってマークとか名乗ってるが、本当はジェームス・ボンドなんだろ」と心の中でツッコんでしまうわたしなのだった。
緊迫感溢れるヒッチコック節
遂に、マークの会社の金庫にも手を出すマーニー。
トイレの個室でほかの社員が帰るのを待ち、金庫のある部屋に侵入。
一度は部屋の扉を閉めようとするが、誰かが来ても物音で気付くようにと思い直し、扉を開けたまま作業に入る。
ここがポイント!
画面は引きの画になり、画面の右半分にマーニーが盗みに入った部屋の全景が映る。
物音をたてない様、金庫のお金を鞄に移すマーニー。
するとその時、画面左の奥から音もなくお掃除おばちゃんが登場。
右に金庫とマーニー、左にお掃除おばちゃん。
静けさの中で二人それぞれの作業は進む。
見つかるの?見つからないの?
マーニーが扉を開けたままにしようと判断したからこそ出来た画作り。
一歩間違えればコント的に見えてしまうシーンだが、無音であることがハラハラを盛り上げる。
先に作業を終え相手の存在に気付いたのはマーニー。
気付かれないように現場から去るため、靴を脱ぎ足音を立てずに掃除婦の後ろを通り過ぎようとする。
靴を片方づつ、コートの両ポケットに入れ歩き出すマーニー。
ところがポケットに入れた靴が歩く度に少しづつずれて来て落ちそうになり・・・。
この後もう一捻りあるんですが、それは実際に観ていただきたい。
わたしは、この一連のシーンが大好きです。
そしてマーニーは狂気に満ちていく
物語の後半は、マーニーが窃盗犯と知りつつ結婚し、なんとかマーニーの心の病の原因を見付け治そうとするマークと、むしろ悪化していくようにしか見えないマーニーの心理サスペンス。
頑なに拒絶するマーニーに対し優しい言葉をかけ続けるマークの言動は、深い愛なのか?それとも何か裏があるのではないか?
新婚旅行から帰って来ても様子のおかしい二人に、マーニーの前妻の妹も疑いの眼差しを向け始める。
マーニーの素性は周りにバレてしまうのか?トラウマの原因は?二人の結婚は上手くいくのか?
もう、最後まで目が離せない。
雑音を排除して映画を楽しもう
1950年代に全盛期を迎え、’60年の『サイコ』、’63年『鳥』と傑作を産み続けたヒッチコックも、本作以降の作品では精彩を欠いてるとも言われ、その原因が、ヒッチコックが本作の主演女優ティッピ・ヘドレンに関係を迫ったが断られた為だとか何とか・・・。
ヒッチコックの執心ぶりは、モデル出身で女優としては駆け出しのティッピと異例の7年契約を結ぶ程で、その契約を盾に彼女を支配しようとしたらしいが、世が世なら完全に「アウト」なヒッチコック先生。
まあ、60年前でも「アウト」なことに変わりはないですが、今の世だったらハーヴェイ・ワインスタインのように業界から消されていたかも知れないと思うと、良かったような悪かったような・・・。
結局ティッピは女優のキャリアを捨てる覚悟で、本作限りヒッチコックとの縁を切り映画の世界からも一時消えてしまうわけですが、ヒッチコックのセクハラがなければもっと女優として活躍していたかも知れないし、でもヒッチコックに見出されなければ彼女の才能が開花することもなかった訳ですから、それを考えると複雑です。
そんなヒッチコックの魔の手から解放された彼女は、娘のメラニー・グリフィス、孫のダコタ・ジョンソンも女優として活躍しているという意味では「ハッピー・エンド」を手に入れたのかも知れません。
とはいえ、そんな事が映画の出来に影響していることなどないと信じて、映画は映画として楽しみたいものです。