(Rambo: Last Blood 2019年 アメリカ R-15+)
『ロッキー』と並ぶシルベスター・スタローンの代名詞的シリーズ。11年ぶりの第5作目にして完結篇。
スタローンは脚本も共同執筆。
監督を務めるのは、メル・ギブソン主演『キック・オーバー』のエイドリアン・グランバーグ。
あらすじ
故郷のアリゾナに戻り亡き父の残した牧場で、旧友のマリアと、その孫娘であるガブリエラと暮らしていたジョン・ランボー。
ある時、ガブリエラはメキシコにいる友人ジゼルがガブリエラの実の父を見付けたと聞き、会って父が自分と母を捨てて出て行った理由を聞きたいと言い出す。
ガブリエラは、ランボーとマリアが止めるのも聞かずメキシコへ行き父に会うが、愛は無かったと冷たく言い放たれ愕然とする。
傷ついたガブリエラはジゼルと夜の街に繰り出し、そのまま行方不明となってしまう。
ガブリエラ失踪の知らせを聞いたランボーは、単身メキシコへと乗り込むのだった。
感想
ランボー のこれまでの戦い
「らんぼう」という音の響きのせいと言うこともないと思うが、「ランボー」と言うキャラクターには暴力的なイメージが付きまとう。
だが実は、彼が自ら争いに行ったことはなく、いつも仕方なく戦いに身を投ぜざるを得ない状況に陥っている。
そして、その理由は大抵「人助け」である。
むしろ彼は、静かな暮らしの中で戦争の傷を癒したいのである。
今作はシリーズの完結編という事なので、これまでの彼の戦いを簡単に振り返ってみよう。
『ランボー』(First Blood 1982年)
ベトナム帰還兵のジョン・ランボーが戦友を訪ねて訪れた街で保安官に不当な扱いを受け、ベトナムで捕虜になっていた時の受けた拷問の記憶がフラッシュバック、保安官たちを素手で倒して山へと逃げ込む。
保安官たちは山狩へと乗り出すが、一人、また一人とランボーによって倒されていく。
シリーズ唯一の原作ものと言うこともあり、他の作品とは雰囲気が違っており、殆ど死人が出ておらず、ランボーも誰も殺していない。むしろ事故。
帰還兵のPTSDを描いた暗いトーンの内容で、ラストもかつての上官であるトラウトマン大佐の説得によりランボーが投降するというハッピーとは言えないエンドだが、大佐に射殺されてしまう原作よりはまだマシ。
『ロッキー』でアメリカン・ニューシネマの時代を終わらせたスタローンのアメリカン・ニューシネマっぽい映画。
『ランボー/怒りの脱出』(Rambo: First Blood Part II 1985年)
服役中のランボー の元にトラウトマン大佐が訪れ、極秘任務を与える。
それは、未だにベトナムで収容されている捕虜の証拠写真を撮ってくることだった。
かつてランボー自身も囚われていた収容所での惨状を目の当たりし、救出せずにはいられないランボー。
敵を殺しまくるアクション大作のイメージは本作から。
この頃は『地獄の7人』『地獄のヒーロー』と、似たような作品が作られたが、後々になってそのような捕虜は存在しなかった事が判明すると言うオチがついた。
『ランボー3/怒りのアフガン』(Rambo III 1988年)
タイの寺院で過去の戦いの傷を癒すランボー の元に、またトラウトマン大佐が訪れ、ソ連が侵攻したアフガニスタンへ現地調査に同行するよう依頼されるが、これを固辞。
しかし、トラウトマンがソ連軍に囚われたとの知らせを受けたランボー は、アフガニスタンへ救出へ向かう。
イスラムの戦士、ムジャーヒディーンと共闘しソ連軍に勝利するランボーであったが、その後ムジャーヒディーンはアルカーイダと姿を変えアメリカの敵になると言う笑えないオチに。
『ランボー/最後の戦場』(Rambo 2008年 R-15)
タイのジャングルでひっそりと暮らすランボーの元にキリスト教系NGOが訪れ、ミャンマーまでの案内を依頼する。
なんとか無事送り届けたランボーだったが、彼らがミャンマー軍の独裁者に囚われたと聞き傭兵団と共に救出に向かう。
R指定が付く程の暴力描写で、見ようによってはホラーな展開もあるが、スタローンは「現実の悲惨さ」を訴えたかったとのこと。
ラストでランボーが故郷に帰る事と『最後の戦場』というタイトルから、本作で綺麗に完結したと思っておりましたが、まさか11年の時を経て新作が創られるとは。
今回は「家族」の為に
第1作の原題『First Blood』に対し『Last Blood』と銘打たれた本作で、今度こそ完結を迎えると思われる『ランボー』シリーズ。
最後の戦いは一体何の為に戦うのかと思いきや、まさかの「家族」を守る為、そして最後はそれを奪ったものに対する「報復」でした。
遂に私怨を晴らす為の戦いに手を出してしまったランボーに一瞬戸惑いを覚えたのも事実です。
しかし、わたしはある事を思い出しました。
それは、スタローンが数年前に息子であるセイジ・スタローンを心臓発作で亡くしていると言う事です。
スタローンは今までずっと、ランボー の姿を借りて自分の信じる正義のために戦って来たように思う。
アメリカ国内のベトナム帰還兵問題、ベトナムにいるとされていたアメリカ兵捕虜問題、ソ連によるアフガン侵攻問題、ミャンマーの軍事政権問題。
結果的に問題自体が存在しなかったり、現実が皮肉な結果になったりしていることもあるが、いつもスタローンは自分の正義を貫いて来たのである。
しかし、病によって息子の命が奪われたことに関しては誰を恨むこともできず、どこかにその怒りをぶつけたかったのではないだろうか?
映画の中だけでも子供の命を守り、ハッピー・エンドを迎えるという選択肢もあったと思うが、スタローンはそうする事はなかった。
ランボーに平穏な日々は訪れるのか?
映画の冒頭でランボー は、嵐で遭難した登山客の捜索にボランティアとして参加している。
彼の活躍により遭難者は発見されるが、全員を救う事は叶わなかった。
ベトナム戦争でも仲間を失った。
帰国後訪ねた戦友も、戦地で浴びた化学兵器の後遺症で亡くなっていた。
『怒りの脱出』でも、現地協力者の女性バオを失っている。
ランボー は奪った命も多いが、救う事が出来なかった命も多く、むしろそれに囚われた贖罪の日々を送っているように思われる。
何人もの敵に囲まれ、どんな危機でも脱して来た感のランボーだが、ココ一番で大切な人は守り切れずにいる。
それが、ランボーの哀愁に繋がっており、異常な強さで敵をバッタバッタと倒す無敵状態のランボーに人間臭い親近感を感じる要因である。
エンディング・ロールで過去シリーズの名場面集が流れ、夢か現実か、馬に跨り颯爽と駆けていくジョン・ランボー。
今度こそ、彼に平穏な日々が訪れることを願って止まない。